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みんなの想い、天空へ H3ロケット試験機2号機 打ち上げ見学旅行記(1)

みなさまこんにちは。

新幹線が大好きな宇宙機ファンのやまごんです。

私は先日種子島に赴いてH3ロケット試験機2号機」の打ち上げを見てきました。

 

その旅の記録と、これからH3ロケットの打ち上げを見ようと考えている人のために、旅行の顛末を打ち上げ見学旅行記に記します。

なお打ち上げ見学旅行記を書くのは今回が3回目過去記事にも打ち上げ見学場や機体移動などのお役立ち情報を載せているので、種子島への打ち上げ見学を検討している方はそちらの記事も合わせてご覧ください。

 

見学旅行記①:2018年2月・H-IIAロケット38号機打ち上げ見学

sado-kouta.hatenablog.com

見学旅行記②:2024年1月・H-IIAロケット48号機打ち上げ見学

sado-kouta.hatenablog.com

それでは参りましょう。

 


みんなの想い、天空へ

H3ロケット試験機2号機 打ち上げ見学旅行記(1)


 


種子島での1コマ

前提条件

今回の旅はこんな感じです。
・4度目の種子島旅行
・旅の起点&終点は新潟
・同行者1名と共に行動
・主目的は「H3ロケットの撮影」
種子島でレンタカーを使用
・宿あり

 

種子島訪問は今回で4度目。打ち上げ予定は2/15なので、2/13夜に新潟を出発、2/14~2/18まで種子島に滞在し、2/19朝に新潟に帰還するスケジュールを組みました。

私は前回の種子島旅行(2024年1月)からわずか1ヶ月で再び種子島へ赴きます。
鹿児島にて宇宙開発ファンのフォロワー(Iさん)と合流し、2人で打ち上げ見学をする。旅の目的は「H3ロケットの撮影」

 

私が種子島のレンタカーを確保し、Iさんが宿を手配してくれました種子島は現在お隣の馬毛島の基地工事で深刻な宿不足なので、宿があるのはとてもラッキーなことでした。

 

以上をふまえて、H3試験機2号機の見学旅行記、スタートです。

 


打ち上げ1年前(2023年2月17日)


 

それは幻のリフトオフだった。

 

この日、日本の新型ロケット「H3」試験機初号機(H3TF1)の打ち上げが行われる…はずだった。

カウントダウンは順調に進み、0になった瞬間、機体はリフトオフ!

すると思いきや、そのまま発射台にとどまった。打ち上げは中止。


+28秒後のH3TF1

 

スマホの画面を見つめながら思った。(打ち上げは中止。しかし失敗するよりはずっといい。)

原因究明と対策が施され、再度打ち上げが実施されるのは翌月のことである。

 


打ち上げ約1年前(2023年3月7日)


 

私はスマホの画面を見て凍り付いた。

 

この日、H3ロケット試験機1号機が遂に打ち上げられた。積み荷は先進光学衛星「だいち3号(ALOS-3)」。だいち3号は災害大国の日本にとって待望の、広範囲の地表を高解像度で撮影できる衛星だった。災害への備えとして私はこの日を何年も前から待っていた。

 

そしてH3ロケットH-IIAロケットに変わる新たな日本の主力ロケットとして、25機以上の衛星打ち上げに使われる予定がある。H3は宇宙への新しい架け橋。宇宙機ファンの私にとって、だいち3号とH3への期待は並々ならぬものがあった。

 

午前10時半ごろ、私はお勤め先の片隅で打ち上げ中継映像を見た。カウント0の瞬間、H3は遂にリフトオフ。私はSRB-3の分離を見届けて仕事へ戻った。軌道投入までが打ち上げだが、峠は越えたはず。あとはお昼休みに朗報を待とう。

 

しかし、お昼休みにスマホを見ると画面には「打ち上げ失敗」の文字が。

 

H3は、試験機1号機は打ち上げに失敗した。待望の衛星だいち3号も失われた。

 

嘘だろ…?

 

私の心にはパックリと大きな傷が開いた。血が流れ出るといういうよりは冷たい外気が吹き込んでいるような、ものすごい喪失感だった。暗闇の中で経験のない痛みに苦しむ気分。

 

だが私に比べたら、関係者の辛さはもっと大きい。

打ち上げ失敗後、私はH3ロケットを取り上げた番組をいくつも見た。H3ロケットの開発責任者を務める「岡田PM(プロジェクトマネージャー)」は試験機1号機が指令破壊された後、しばらく動けないくらい、落胆していた。H3に携わるすべての関係者も気持ちは同じだろう。

 

そして私を含む多くの宇宙開発ファンも悲しみに暮れた。
私の推しであるロケットアイドルVtuber「宇推くりあ」さんも

www.youtube.com


宇推くりあ氏とH-IIAF48
(2023年の宇宙研コラボのクリアカード)

くりあ氏(リスペクト呼び)は当時、H3試験機1号機の応援サポーターとして打ち上げの模様を配信していた。そしてロケットの異常と打ち上げ失敗の報せをリアルタイムで目撃。

状況を冷静に分析しつつ、今までにないくらい、ものすごく悲しんでいた…

 


打ち上げ4ヶ月前(2023年12月末)


 

あれから9ヶ月が経った。この間JAXA三菱重工(MHI)は打ち上げ失敗の原因究明と対策を進め、遂にH3ロケットの飛行再開のめどが経った
そして12月末、JAXAH3ロケット試験機2号機(H3TF2)を2024年2月15日に打ち上げる」と発表。打ち上げ時間帯はだいち3号と同じく朝から昼ごろを予定。

私はこの報せを聴いて迷った。打ち上げを見に行くべきだろうか?と。

というのも、私はすでに2024年1月12日のH-IIAロケット48号機(H-IIAF48)の打ち上げ見学の日程を組んでいたのである。つまりH-IIAF48からわずか1ヶ月で種子島に再訪することになる。休暇、出費、課題はいくつもある…

 

だが「見られるならH3TF2の打ち上げを見てみたい」とも思った。H3はこれから数多くの宇宙機を打ち上げる。その最初の成功はH3TF2になるだろう。オンリーワンの魅力がそこにはある。さらにH3ロケットの塗装はずっと同じとは限らない。H3の運用は現在JAXAが行っているが、将来的には三菱重工に移管される。機体のJAXAロゴはいつか無くなるかもしれない。であれば今のH3ロケットを撮って記録したい。

 

行こう。H3ロケットの最初の成功を見届けよう!

すぐレンタカーを予約し、見学旅の行程表を作成した。

 


打ち上げ1ヶ月前(2024年1月)


 

私は種子島を訪れた。目的はH-IIAF48の撮影。H-IIAロケットの夜の機体移動と、快晴の中での打ち上げは素晴らしいものでした。

この時、南種子町にはH3TF2の打ち上げの看板があった。


種子島で見かけたH3TF2の打ち上げ予定の看板

私はこの打ち上げを見られるだろうか…

飛行機で種子島を去る際、窓の外を流れる景色に「また来ます。」と約束した。

 

機体移動の記事はコチラ↓

sado-kouta.hatenablog.com

打ち上げの記事はコチラ↓

sado-kouta.hatenablog.com

打ち上げ成功記念アート

 


打ち上げ12日前(2024年2月3日)


 

H-IIAF48の時、私は打ち上げ成功記念アート(上記)を作成した。H3TF2でも同様に打ち上げ記念アートを作成したい。だが今回は積み荷の衛星の擬人化ではなく「宇推くりあ」氏を描くことにした。

 

理由は次の通り。
・くりあ氏はH3試験機2号機の応援サポータをしている。
・成功したときの「喜び」を表現したい。
・自分がくりあ星団※の一員。

※くりあ星団:宇推くりあCh.のファンネーム。

くりあ氏(リスペクト呼び)は応援サポータとしてH3TF2の打ち上げのミラー配信&解説を行う。その頑張りにファンとして何かお礼をしたい気持ちもあり、描くことにした。

打ち上げまでの12日間でコツコツと書き進めた。前にも1度描いたことがあるけど、デザインはデザイナー(ご本人)のこだわりが詰まっているので、線画が一向に終わらなかった(笑)


線画の様子

躍動感ある感じにジャンプ!試験機2号機の「2」と成功のピースサインを添えて

 

ところで、こうしてお祝いの準備をしたところで、打ち上げを見られない可能性もある。しかも打ち上げが成功するとは言い切れない。

そんなことを考えていると手が止まりそうになる。だが…覚悟の上で、描き続けた。

 

今回の旅は打ち上げ延期のマージンを3日間確保してあるし、打ち上げ成功を心から信じていた。

 


お天気チェック 打ち上げ4日前(2024年2月11日)


 

打ち上げは天気が良くないと実施できない。ロケットは空を突っ切って宇宙へ行くので、射点の上空に雷や氷、強風、大雨があると打ち上げに支障が出るのだ。

 

打ち上げ前恒例のお天気チェックでは、打ち上げ予定時間帯の2月15日朝"だけ"雨マークがあるという酷いイジメを見た。しかも雷のおまけつき。打ち上げ延期は必至だ。

 


あのさぁ・・・

 

 


打ち上げ日時発表 打ち上げ2→4日前(2024年2月13日)


 

H3TF2の打ち上げ予定日(2/15)の2日前のこの日、天候を踏まえた正式な打ち上げ日が発表された。

新たな打ち上げ日時は「2月17日(土)午前9時26分55秒~」

 

2月17日。奇しくも、H3ロケット試験機1号機の幻のリフトオフと同じ日となった。
これも何かの運命なのだろうか。

 

打ち上げ日は2日延期となったが、もとより延期を想定していたので驚きは皆無。つくづく慣れたものである…

2月13日夜。冬の寒さに震えながら、私は新潟発の夜行バスに乗って旅を開始。目指すは1か月ぶりの種子島だ。

 

次回、「種子島へ行こう」